日本を去り、旅をしている3つの理由

posted in: Blog, Other | 1

I’m in Riga, Latvia.


 

お久しぶりです。

現在はバルト三国のラトビアにいます。

 

約10ヶ月住んだオーストラリアを2017年8月に出発し、旅を始めてから1年になりました。本当にあっという間です。

現在まで東南アジア、中米、南米、北米、ヨーロッパと旅をしてきました。自身の訪問国数は60カ国以上に。

 

今回のブログは1年間という1つの区切りもあり、今までの旅ブログとは少し変わった内容で、今まで詳しく話してなかった「日本を出た理由」そして自分なりの「旅をする理由」について。

 

packing

2016年10月、日本出発前。

 

2016年夏、自分は東京にある広告会社で働いていました。ワクワクするような大きい規模の仕事、そして優秀で素晴らしい諸先輩方と働くことができ、忙しいながらも充実した日々でした。

 

が、社会人生活も5年目となり、出来ることもちょっとずつ増えてくることで、気付けば大きなチャレンジすることも、新しく何かを始めることも少なくなっていることに気付きました。そして26歳の夏に退職し、環境をガラっと変えることで新しい経験・挫折をしようと思い、海外へ行きました。

 

自分の中では「楽しいこと」をやりたい!というよりも、日本で得られない「挫折」を味わうことにワクワクしていました。

 

ワーキングホリデービザでオーストラリアに10ヶ月滞在。最初の2ヶ月は灼熱のマンゴー農園で働き、その後はメルボルンとブリスベンでバリスタとして働く日々。当初の予定通り、楽しいことも辛いこともたくさんありました。今となっては全て笑える楽しい思い出ばかりです。

 

working

mango farm

coffee

 

 

十分なお金が貯まったので、予定よりも早くオーストラリアを出発。2年間オーストラリアにいてもいいかも、と思っていたのでかなり早いタイミングでした。

オーストラリアからベトナム行きの航空券が安かったので、まずはベトナム・ホーチミンへ。そこら東南アジア各国を周り、最後の最後でまさかのデング熱を発症。

 

【海外旅行】まさかのデング熱!発覚から退院まで
友人の結婚式の参列のため、クアラルンプールから関空経由でハワイへ。人生初のハワイにワクワクし、乗り継ぎゲートに向かって歩いていると、関空の検疫所で止められる。そして、検査を受けて発覚したのは、まさかのデング熱。

 

デング熱から復活し、メキシコへ。中米を全て周り終え、ボートでパナマからコロンビア(南米)へ。南米ではパタゴニアとアマゾン川をメインに4ヶ月滞在。その後、カナダとアメリカに1ヶ月間過ごし、ヨーロッパへ。ヨーロッパでは過去に行かなかった東欧を中心に2ヶ月半ほど旅をしています。

 

というような、日本を出て現在673日目。そんな旅をしています。

 

さて、ようやく今回のテーマについて。

 

そもそも日本を出る際にどんなことを思っていたのか。なぜ海外に行こうと思っていたのか。

考えていたことが3つあります。

 

 

行きたかった場所にトコトン行こう

 

自分には行きたい国・場所、会ってみたい民族、詳しく知りたい宗教や文化、食べたい料理がたくさんあります。

世界中の全ての国名と場所を覚えた小学生の時の自分の夢は、その全ての国を自ら訪れることでした。

 

昨今では、綺麗な写真が並ぶ旅行雑誌を読んだり、ネットでススっと検索すれば画像とともにすぐ情報を得られる。すぐに”行った気”になれるが、やはり自分自身で体験したい。情報が溢れている今だからこそ自分の目で見て、感じたことを信じたい。

 

南米に行く前、南米行きについて色々な人に話をしました。返ってきた答えの多くは「危なくないの?」というもの。そして何人かは「危ないよ。」と。その何人かに「行ったことがあるか」聞くと、誰も行ったことがありませんでした

情報とイメージで溢れている”便利”な世の中だからこそ、アナログですが、自分の足で回ることに意味があると思っています。

 

IMG_20171223_135342_117

1ヶ月間過ごした中米ニカラグア

DSC03477

コロンビアにある美しい町、ヴィジャデレイバ

 

ちなみに、南米は僕的には何も危なくありません。(常識内の行動をすれば、です)

少し話が脱線しますが、旅してると時折『強盗にあった話』とか『ボッタクリにあった話』を自慢げに語る旅人がたまにいます。そもそも「ボッタクリ」は存在しないと思っています。つまり、そこには値札(定価)がないから、その価値の値段を決めるのは、いつも自分だからです。

 

そのタクシー代が高いのか安いのか、そのTシャツが高いのか安いのかは自分で決めることだからです。同じTシャツを1000円で買った人も200円で買った人も価値は同じです。1000円で満足してるなら、別にそれで全く問題無いかと。それを後から、安い値段で買えることを知り、当時の自分の価値を棚に上げて『ボッタクられた!』と愚痴るのはズルい。もし、適正価格との乖離が嫌なのであれば、事前に調べておけば何も問題はない。

 

強盗などの事件も(勿論その事件の場合に寄りますが)、そういう目に遭う原因は全て自分にあるし、頭を使って避けようとしなかったパターンが多いかと。詳しくその事件について聞くと、夜遅くに出歩いていたり、大金を持っていたり、危険なエリアを探索していたり。自分から見ても、「そりゃ危ないだろ」と思うことが多々あります。

ヨーロッパなどで無防備にリュックを背負い、高そうな一眼レフと最新のiPhoneを持った日本人を夜に見かけると、大丈夫かと心配になります。

 

日本でも危険な事件が多く起きる昨今、世界中どこであっても行動する規範は同じだと思います。

 

話は戻りますが、その「行きたいところに行きたい!」という点に加えて大事な点が、そんな場所に早く行きたいということ。学生時代に考えていた次の旅の候補地はシリアでした。数人の友人が旅をしており、その感想を聞いては「絶対に行きたい!」と常に考えていました。

が、社会人となる前に内戦が発生。そんな状況になるとは当時は思ってもいませんでした。行きたい場所には行けるときに早く行かなくてはいけない。内戦だけでなく、天災も含めて可能性はいくらでもあります。そんな焦りがありました。

 

 

パタゴニアをテントを担いで1ヶ月間旅をする。

 

アマゾン川を3週間、ハンモックで生活しながらボートで旅をする。

 

世界でも有数の中米のサーフィンスポットでのんびりサーフィンをする。

 

 

サラリーマンの休暇期間だと、どれも叶えられなさそうなこと。学生時代に写真集や冒険家の本を読み、頭の中で「こんな感じなのかな」と夢中でイメージを膨らませていた場所たち。

 

いつか、いつかと夢見てた場所。

しかし、「いつか」と思っている限りはいつまで経っても行けない。「じゃあ、今行こう」と決心しました。

 

退職時に1年間の休職という選択肢を上司から頂きましたが、断ったのも良かったと思っています。背水の陣ではないですが、期間が未定だからこそ出来ること、見えてくるものはあるかと。

 

10年も憧れていた場所にやっとたどり着いたときは、色々な感情や思い出が込み上げました。朝日を見て泣くのは、たぶんパタゴニアでのあの日が最初で最後です。

 

【世界一周】パタゴニア・エルチャルテン|10年越しの朝日
「この山の朝日を生で見たい。」そう思ってから10年。パタゴニアを旅してから1週間経ち、念願だったフィッツロイ山がある町、エル・チャルテンに到着。テントと寝袋をバックパックに括り付け、2泊3日のトレッキングを開始する。

DSC04788

DSC04007

DSC04642

IMG_20180101_173947_231

 

 

お金ではなく、「体験」と「経験」を得よう

 

日本にそのままいれば、安定した仕事に就き、毎月ある程度のお金は得られる。

大好きな三軒茶屋でこのまま1人暮らしをして、休日にサッカーをし、友人と飲みに行き、たまに週末にキャンプやサーフィンに行く。

そんな生活を続けることも良いけれど、当時26歳になった自分は、30歳頃になるまでの向こう約5年を「お金を得るのではなく、経験と体験を得る時間」にしようと思いました。

 

お金を稼ぐことはいつでも出来るけれど、年齢を重ねれば重ねるほど、何か新しいことにチャレンジすることは難しくなってしまう。不可能ではないけれど、家族や会社での地位、責任ある仕事の存在等が新しい行動を始めることにブレーキをかけてしまう。

そんな身動きの取りづらい自分になる前に「まずは行動してみよう。あとは何とかなるし、何とかさせよう。」と半ばノリで退職しました。広がる可能性に賭けると、決断は早いものでした。

 

DSC00851

monk

Processed with VSCO with preset

 

自分にとって「体験」と「経験」とは、やはり「何か新しいものに挑戦すること」で得られるもの。今までの環境、常識、立場から一歩出ることで得られる。つまり、自分のComfort Zoneから出ないと始まらない。そのZoneとは、物理的な意味でも精神的な意味でも。

 

大学時代に知り、感銘を受けた「大前研一氏の『人を変える3原則』」。

1.時間配分を変える

2.住む場所を変える

3.付き合う人を変える

 

旅をすることは、この全てを一気に変えることができる。だから、こんなにも長期間、好奇心を絶やさず、ワクワク生活できるのかと思います。

 

DSC01273

IMG_20171209_180539_887

 

 

当たり前ですが、「旅」は見るもの・聞くもの全てが新しい。そして、その場所に訪れる前に「こんな感じかな」と心の中で思っていた予想を軽々と現実は毎回越えてきます。その予想と現実の「ギャップ」の大きさが、好奇心とワクワクの源です。

 

前職でとても尊敬していた大先輩プランナーから頂いた言葉があります。

 

「毎日新しいことをすることを絶対に忘れるなよ。それに必要なのは好奇心。好奇心が生まれる1番いい方法は旅行だ。でも旅行は毎日できないから、日常で出来ることを精一杯やれよ。」

 

その先輩は通勤時に家から駅までの道や、会社までの路線、車両を毎日変えているそうです。もう部長だと言う立場なのに、変わらないその姿勢にとても尊敬していました。

 

たくさんの本を読み、ネットで調べたことも、たった一度の経験には及ばないことがある。同じ事象でも場所でもその人によって印象も感想も変わる。人のバイアスは思っている以上に大きい。自分で見て、聞いて、足を運んで感じたことを信じよう、そう思いました。

 

このサイトのサブタイトルでもある『trying new things in life is amazing.』は友人のアメリカ人との会話中にふと出てきたフレーズですが、とても心に残っています。小さい事でもいいので、何か自分にとって新しいこと(チャレンジ)を日々続けていければ、と。

 

そして、自分の専門外や未知のジャンルであっても経験(知識)や体験があれば、そこから比較ができ、多角的な視点で捉えることができると思っています。イメージや偏見に偏らず、モノの見方・ものさしを広げることが出来ると思います。

 

お金を稼ぐことより、20代で「やりたいと思うこと、好きだと思うこと」を信じてやろう。

その経験と体験を活かして、今後行きていけばいい。つまりここでも「何でもなるし、何とかしよう精神」です。そう考え、日本を出て貯金が尽きるまで、やりたいことをやり、思う存分感じてこようと思いました。日本での楽しい日々は、こう考えるとすぐに手離す事ができました。

 

これで何とかならなかったら、ただの馬鹿なので勿論今後努力しないといけません。笑

 

【世界放浪】ブラジル・アマゾン川|ハンモックで旅する17日間
「アマゾン川を旅する」- 長年の夢を叶えるため、アマゾン川最下流の町ベレンへ。ハンモックでボートで寝泊まりし、雄大なアマゾン川を3700km,17日間掛けて旅した思い出。

 

 

哲学(”Be ○○”)を得よう

 

自分の中で、哲学とは「どういう人間でいたいか」「これだけは曲げられない考え」「ものさし」を指しています。どこに住んでいても、何をしていても、どんな仕事に就いていても変わらない「生きる軸」です。

 

趣味や好きなことがたくさんあった自分ですが、人生を掛けてやりたいことは何か、と考えると一言で言えませんでした。「人生のテーマ」のようなものです。そんなものを30歳になる前に、環境を変えることでじっくり考えたいと思いました。

 

たくさんのモノや人々に出会い、触れ合うなかで「なにが自分は好きなのか」、そして「何が自分は嫌いなのか」を知ること。就活生のようですが、自分の好きなもの、美しいと思うもの、嫌いなもの、許せないもの…を多く知り、またその理由を考察しないと、その先の事も考えられないかと。

 

社会人での経験や今までの様々な出会いもあり、当たり前ですが就活生のときよりも深く考えられる。いま自分は30代で海外の大学で再度勉強したいと思っているのですが、そんな考え方が生まれるとは露程も思いませんでした。特にこれを学びたいと思う分野が今ありますが、勿論それも今後の生活で変わっていくでしょう。

 

 

また、オーストラリアに住み始めてから次第に「今後の一生を日本で暮らす」ことがイメージしづらくなりました。どこに住んでいても、どんな仕事をしても変わらない「生きる軸」はやはり自分にとって益々重要になると感じました。

 

と、「哲学をつくる」と高らかに言いつつ、そんな簡単に一生の軸になるような指針がすぐに定まるとも思っていません。そして、その哲学も人との出会いや環境で少しずつ変化していくのは当たり前です。

 

そのため、まずは今後5年くらいのスパンでの自分の「哲学」を見つけることを目標としました。そして、その構成要素を旅をしていく中で考えようと思っていました。

 

今まで学校や仕事で学んできたことや経験は勿論、この旅で体験・経験したことをじっくり考える。1人旅の良さは、ゆっくり考えることが出来る時間が無限にあるのも良いことです。

パタゴニアで1週間1人でハイキングしながら生活したときは、歩きながら沢山のことを考えたものです。

 

 

DSC01408

DSC05160

 

 

学生時代にお世話になったgreenz.jpの元編集長であるYOSHさん(兼松佳宏さん)は、一般的な肩書ではなく「BEの肩書」という考え方をされています。YOSHさんのブログの中から、一部引用されていただきます。

 

「BEとしての肩書き」とは何か? それは、自分が貢献できる価値の源となる働きのこと。

僕のBEは「勉強家」であり、その上でDOとしてかつては「greenz.jp編集長」をしていて、今は「大学教員」をしている。

(中略)

BEから湧き上がったDOこそ、やりがいのある、自分と一致している、生かされている仕事となるのではないか。

DOとしての肩書き、BEとしての肩書き:https://bit.ly/2AAbHsO

 

be

出展:「DOとしての肩書き、BEとしての肩書き」 https://bit.ly/2AAbHsO より

 

 

YOSHさんの「勉強家」のように、今後自分がどこで何をするかに関係ない、価値の源となるものを見つければと思い、この旅を始めました。

 

ここまで偉そうに「哲学」だの「生きる軸」について話してきましたが、まだ完全に固まっていません。が、大方考えられてきました。

その話については、また次回。

 

という以下3つが、私が日本を出た理由。そして旅をしている理由。

 

  • 行きたいところにトコトン行くこと
  • 経験と体験を得ること
  • 哲学を得ること

 

ただ、根本的でシンプルな答えだと、「仕事を辞めてまでやりたいと思ったコト、それをやろうとしている自分を信じて生きよう」ということです。

 

 

つまり、自分の場合がそれが「旅」であっただけ。ある人にとっては海外留学かもしれないし、転職かもしれないし、地方移住や習い事を始めること、もしくは結婚かもしれません。

 

旅をする中で、同じく世界中を旅している旅人に多く出会います。彼らからですら「そんな長期間旅してて疲れないの?」「飽きない?」「帰国したくならないの?」と質問を受けます。

 

本心ですが、この二年間一度も帰国したいとも飽きたとも疲れたとも思いませんでした。やはり、自分が好きだと思って信じたことは正しかったようです。

 

今日も楽しく旅を続けています。毎日の小さな事に驚き、発見を続け、チャレンジしながら。

これからの旅はバルト三国を抜け北欧へ。

 

それでは、また。

 


 

★「俺はできる」 – 何でもなるし、何とかしよう精神でオーストラリアで仕事をゲットした話

【ワーホリ】オーストラリア|メルボルンのカフェで働く
現在、メルボルンにある2軒のカフェを掛け持ちして働いています。どちらも家から歩いて15分という、とてもよい立地です。今回のブログはその仕事内容と採用までの詳細について。

 

 

One Response

  1. […] 【世界放浪】日本を去り、旅をしている3つの理由 […]