I’m in Nong Khiaw, Laos.
*Day 334
お久しぶりです。
ハノイからバスに揺られ、ラオスのルアンパバーンまで移動しました。
旅行会社から「24時間」と聞かされていた夜行バスは、早々のエンジントラブルにより道中で修理を行い、結局ルアンパバーンに到着したのは翌日の21時過ぎ。移動時間は27時間。モンゴルで経験した「バス乗車最長記録」を5年ぶりに更新。
これでやっと世界のスタートラインです。ありがとうございます。
★5年前のモンゴル旅行についてはコチラ
モンゴルで星を見る。
世界遺産の町ルアンパバーンで4日間を過ごした後、ミニバンとボートを乗り継ぎ、北部にある村 Muang Ngoi(ムアンゴイ)までやってきました。
ルアンパバーンの宿を朝8時に出発し、ミニバンに乗りNong Khiaw(ノーンキャウ)という町に到着。ボートに乗り換え、揺られること1時間。村に着いたのは15時半。ボートの乗り継ぎ時間等を合わせ、7時間半の移動。
ここムアンゴイは少し前(といっても15年前程らしいですが)までは電気もガスも通ってなかった村。海外のサイトやガイドブックには「ラオス最後の秘境」などと書かれているそう。
自分がここに来た理由はもっと緩く、ルアンパバーンから南部に行くのはあるあるなので、どこか北部に行きたいなあと思っており、地図を眺めているとノーンキャウという町を発見。少し調べると宿もあるとのこと。
そして、ラオスでやりたかったボートでの移動。ノーンキャウから地図上で川を指でなぞっていき、見つけた村がムアンゴイでした。
「よし、ここに行こう。」そう何となく決め、行き方(ボートの本数等)を調べてみると、ルアンパバーンから1日で行けそうと分かる。後で「秘境」なんて呼ばれていたことを知る。
自分の旅はいつもそんな感じでとても緩い。気に入った場所には延泊をし、現地の人に聞いたオススメの町にフラッと訪ねる。気ままに旅できるのも1人旅の良さの1つだ。
唯一持っているガイドブックであるLonely Planetを取り出す。少しだけだが、この2つの町(村)の情報が載っている。”見所”は2つあるView Pointだけとのこと。”見所”なんて必要ないのでとりあえず向かう。
ムアンゴイに到着し、ボートから降りる。川沿いにゲストハウスが並んでいる。1人の女の子に声を掛けられる。ゲストハウスの客引きだが、とても丁寧な話し方が気に入り、部屋を見せてもらう。
3人用の部屋に1人で宿泊し、1泊3万キープ(約3USドル)。ハンモックもある。予算内だし、素晴らしい。このゲストハウス「Say Lom Guesthouse」に早速決める。
宿の”オヤジ”はとても明るくていい人。「OK。ここに泊まるよ。」と言うと、溢れんばかりの笑顔で「イエーイ!」と言う。名前を聞かれ教えると、「アユムー!イエーイ!」となぜかまた喜び、今後はハイタッチする。
娘さんも奥さんも皆親切で、雨が降り出せば干していた洗濯物をいつの間にか取り込んでおいてくれ、午後にはメロンを部屋に持ってきてくれる。そんな人柄とムアンゴイの静かな雰囲気が気に入り2泊する。
村を歩き回るといっても、「メインストリート」と呼ばれている道は舗装もされておらず、300mほどで終わる1本道のみ。
村にはとっくに電気も来ているが未だに街灯は無く、夜は軒先や各家庭から溢れる明かりを頼りに歩くことになる。18時にローカル食堂でご飯を食べ、19時に部屋に戻る頃には辺りは真っ暗。20時を過ぎれば、物音もしない。寝る時に聞こえてくるのは、虫の鳴き声のみ。
旅には人それぞれの色々な楽しみ方、過ごし方があると思う。ゴージャスなホテルに泊まるのも、水シャワーの安宿に泊まるのも、日本じゃ考えられない値段で現地の高級レストランを楽しむのもその人の好み。
自分の好きな旅の仕方の1つは、とにかくローカルなものにチャレンジすること。
お腹が空いたのでメシ屋を探す。良い店の見つけ方は自分なりに2つある。
1つは、とにかく地元の人で賑わっている店にドンドン入っていくこと。観光客があまりいない、地元の人で溢れている店を探す。
2つ目は、とにかく愛想がいい人の店に入ること。料理の味は、ある程度美味しいレベルならどの店も同じでいつか忘れるだろうが、人との楽しい触れ合いは忘れない(自分の経験上)。それが正直あまり美味しくない味であっても、丁寧に調理し笑顔で提供してくれるだけで満足だ。
その”メインストリート”を歩いていると、ある店のおばあさんと目が合う。ニッコリと「サバイディー」(こんにちは)と挨拶してくれる。その瞬間に本日の夕食の場所は決まった。
英語なんてほぼ通じないが、そんなことは大した問題ではない。料理を指差し、ケータイの電卓機能を使って値段を聞く。おばあさんがケータイを押し間違えてしまい、0の桁が少ないと慌てて笑いながら訂正する。
身振り手振りで「この野菜は入れていいか」と質問してきてくれる。「OK!」と答えると、嬉しそうに頷き、料理を進める。
ゆっくり15分掛けて出てきたFried Riceは、日本で理想とされる「パラパラ炒飯」とは正反対のモノだったが、めちゃくちゃ美味しかった。
おばあさんは、ニコニコしながら食べている姿を見守っている。外国人が食べに来るのは珍しいのかもしれない。ローシーズンということもあってか数人ほどしか出会わなかった他の旅人は、その殆どがメインストリートにある1軒の比較的”オシャレ”な店にたむろっていた。
「セープ、セープ!」(ラオス語で「美味しい」)と、食べながらおばあさんに言うと、照れながら顔をくしゃっとさせ喜んでくれる。
そんな感じで3日間をこの村でのんびり過ごす。毎回各所のローカル食堂で食べるので、メインストリートを歩いていると前日訪れた食堂のおばちゃんが「サバイディー!」と笑顔で声を掛けてくれる。
ある日の昼食時には、楽しそうにワイワイやっているおばちゃん達のテーブルに相席させてもらうと、ビールをどんどんご馳走になり、終いにはそのうちの1人のおばちゃんと結婚しろと言われる。
ラオスの人たちはベトナムの人たちよりも更に愛想が良い印象。
左端の方が僕の「妻」です。
今では電気もガスも通り、ゲストハウスには(激遅ではあるが)Wi-Fiもある村。しかし、この先もっともっと近代化していく可能性もある。5年後には、リゾートホテルが「静寂の贅沢」なんて言って、洒落たヴィラを備えたリゾート施設を建設するかもしれない。そう思うと今回行けてよかったと思う。
眼前にメコン川の支流であるオウ川が雄大に流れ、山に囲まれた環境の中、ハンモックに揺られ本を読みながらのんびり過ごす。
この村は「何もない、最後の秘境」では最早ないが、訪れる価値のある素晴らしい場所だった。
そんなラオスの、とある村での思い出。
それでは、また。
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