I’m in Nairobi, Kenya.
お久しぶりです。
モロッコから南下して始めたアフリカ旅。
フランス語圏の西アフリカ各国を旅した後はトーゴからケープタウンへ。
★トーゴのブードゥー教マーケットに行った思い出はコチラ
【世界放浪】トーゴ・ロメ|閲覧注意!?世界最大のブードゥー教マーケットへ!
ネットで「エチオピア航空は8時間以上のトランジットの場合は、宿泊施設を提供する」という情報を得て、フライトはエチオピア航空に決める。
トーゴの首都ロメから、まずは乗り継ぎのためエチオピアの首都アジスアベバへ。
大混雑で混乱する入国審査場で無料でトランジットビザを取得し、空港から送迎バスでホテルに着いたのは深夜0時前。
翌日朝早いフライトだったので、翌朝は4時半起き。これでは空港泊した方が良かったのではと思うほどのハードスケジュール。
南ア・ケープタウン行きの機内に乗り込む。ヘッドフォンを付け、離陸を待つが中々出発しない。
機内アナウンスによると機体のメカニックトラブル。冷房も止まり機内は蒸し暑くなる。機内で待つこと3時間。ようやく離陸。
隣の座席だったアイルランド人の女性とお喋り。休暇毎に世界中でダイビングをしながら旅しているそう。写真を見せてもらい、お互いの旅の思い出話をする。
ケープタウンには夕方に到着。空港でICカードを購入し、市バスでダウンタウンへ。800円という運賃に今まで過ごしていた西アフリカ諸国との物価の差を痛感する。
※トーゴでの朝ごはんの屋台は100円。
今まで旅をしていた西アフリカ諸国とは全く異なる都会な雰囲気。
ヨーロッパを旅していた時は”日常”だった、綺麗に舗装された幹線道路や高層ビル、行儀よく整えられた芝生が続く公園。久しぶりに感じる空気が新鮮だった。
滞在2日目からはカウチサーフィンのホストが見つかっていたので、初日だけはダウンタウンの安宿に宿泊。安宿や飲み屋が並ぶ賑やかな通りにあるホステルに入る。
重いバックパックをドミトリーに下ろし、自炊のためスーパーに買い出しに行って初日は終わった。
ケープタウンは噂通りの素敵な街。山と海に囲まれ、どこかオーストラリア時代を思い出す町並み。さすがに夜は出歩くと怖い感じがするが、やっと言語はフランス語から英語になり、コミュニケーションが一気に楽になる。
朝は、英紙で「世界のベストコーヒーショップ」の一つにも選ばれたカフェへ。久しぶりに飲んだ美味しいコーヒーと素晴らしい接客がすっかり気に入る。
午後はケープタウンの名物であるテーブル・マウンテンの山頂までハイキング。山頂に着く頃には雲も晴れ、街を一望できるその景色に圧倒される。
カウチサーフィンのホストは理論物理学を現地の学校で教えるイギリス人。彼は数年ペースで世界中の大学で教鞭を執っており、その海外生活や経験、旅について話す。夜はベジタリアンの彼と一緒に料理をし、ビールで乾杯。
ケープタウンを去った後は、ナミビア、ジンバブエを経てザンビアへ。
そこからマラウイ、タンザニア、ルワンダ、ウガンダと東アフリカエリアを周り、ケニアへ。
そして、実はこのケニアでこの旅の一区切りがつきました。2年間の世界放浪の旅も一旦終わり。
長い長い前置きとなりましたが、今回はこの事について。
ケニアで働き始める
結論から言うと、ケニアの首都ナイロビにあるスタートアップで働くことになりました。
2016年9月に会社を辞めてから、約2年振りの会社員。
ケニアで働くことは突然ではなく、実は約1年前からほぼ決まっていました。
働く先は農業スタートアップのAmoebaXという会社。
2015年から2年間加入していた社会人サッカーチームTOKYO CITY F.C。
そこで共にプレーしていた河野邦彦くんがケニアに単身で渡り、現地で起業しCEOを務める会社です。
★彼についてはコチラの記事を参考
前年比1500%成長!ケニアの農産業分野で奮闘する28歳の日本人起業家 | AF TECH |アフリカのスタートアップを中心としたビジネスニュースをお届け!
今回のブログの内容はざっくり言うと、
・なんで旅人からスタートアップに入社したのか。
・なぜこの会社に入ったのか。
について。
つまり、入社エントリです。
10年近く憧れていたパタゴニア。1ヶ月過ごした日々の思い出は一生忘れられません。
これまでの経歴について
今までの経歴や経験もこの話に関わってくるので長くなりますが、過去の話をざっくりと。
■会社員時代(2012年4月〜2016年9月)
2012年に電通テックという広告制作会社に新卒として入社し、当初から希望していた営業部署(プロデューサー)に配属しました。
就活時に広告制作会社を志望したのは(学生の少ない知識から考えたレベルですが)、自分は「メディアバイイング」というよりも、実際に人々の心が動くところ(商品に手を伸ばす、クリックする、足を運ぶ etc.)、その瞬間に携わりたいと思い、志望しました。
それは、学生の頃に活動していた学生団体 ( http://my-jpn.com/award/)や、TED (https://www.ted.com/tedx/events/1047 )の運営で日本を代表する大御所クリエイターの方にお話を聞いたり、デザイナーの仕事を傍で見たり、イベントを企画、運営していたときに感じたことから来たものでした。
入社してからの約2年間は大手通信会社の担当に。経験も知識もない中、経験豊富な大先輩方に囲まれる日々。営業という立場のため、そんな先輩方を入社間もない新人がまとめなくてはならず、ひたすら知識を増やしては、毎日ただただ追いつくのに必死でした。
OJTでつかせて頂いた先輩が、今までの人生で出会った中でぶっちぎりで仕事ができる方でした。社内では厳しい方で有名でしたが、そんな先輩の背中や姿勢、そして厳しい教えのお陰で社会人の基本をガッツリと学ばせていただきました。
そして最後の2年間は、株式会社 電通の営業局に営業として駐在。大手コンビニや銀行等を担当し、より川上に近い立場で企画も含めて様々なことに取り組むことができました。
忙しく辛い日々の方が多い日々ではありましたが、その分成長を実感するとともに、ワクワクするような仕事に携わることができた4年半でした。
そんな社会人生活でしたが、知識も経験も少しずつ増えていく一方で、大きなチャレンジや失敗・挫折をしづらくなっていることにも気付きました。
できることが増えていくことで、そして年齢を重ねるにつれて、昔に比べてワクワクする場所に、そして厳しい環境に自分を置いていないことに気付きました。
このままだと新しいことを始めたり、自分の立場を大きく変えることがどんどん怖くなるだろうと思い、意を決して環境を変える(=退職する)ことにしました。
そして、学生時代に大好きだった海外の一人旅ももっとしたいと思うようにも。
そんな退職時の思いと、旅をしている自分なりの理由について詳細は下記エントリをご覧ください。
【世界放浪】日本を去り、旅をしている3つの理由
退職後はまずはワーホリでオーストラリアへ。お金を貯めることもそうですが、英語を使って働くことにチャレンジするのが目的でした。
英語は元々、日常生活では問題なかったレベル。しかし、英語にクセがあるローカルの人との接客や、専門用語を使う作業もあり、かなり苦労しました。多国籍の人種の中で働くことも始めてだったので、言語だけでなく、文化や考え方等もアジャストしなくていけないことも沢山でした。
でもその分、自信も経験も得ることができました。それは、やはりその生活やプロセスの中で、たくさんの挫折や試行錯誤があったからだと思います。
今のままでの環境で、そして同じ考え方・姿勢では現状維持どころか減退してしまう。新しい環境の中にボンッと自分を放り込むことで得られた経験・体験でした。
旅人から海外のスタートアップへ
旅を辞めて、また「働く」ことの理由は簡単で、お金が尽きたからです。
昨今ではリモートワーク等をする旅人も多いですが、自分はこの時間を100%旅だけに使いたかったので、旅をしている際中は一切仕事をしませんでした。
アジア、中米、南米、北米、ヨーロッパ、そしてアフリカを1年3ヶ月掛けて放浪し、大学生の頃から憧れていた国や地域に訪れる毎日。
その中で出会った景色は勿論、一つ一つの経験は今後忘れられないモノとなりました。
「お金を得るよりも経験と体験を得よう。」
旅を出た理由はこの考えによるものでしたが、オーストラリア時代を含めて2年が経ち、文字通り無一文になりました。
しかし、今はそんなことはちっぽけに思え、将来を不安がるどころか「なんとかなるし、なんとかしよう」と思えます。
元々河野くんからは、彼がケニアに渡る前から日本で話を聞いており、起業してからも頻繁に連絡を取り合っていました。そして、何度かお誘いを頂き、毎回「もう少し旅がしたい」と回答していました。
そして、昨年10月にまさかのデング熱入院でお忍び帰国した際に、東京で1年ぶりに再会。そこでちょうど一年後の2018年秋にジョインすることを約束しました。
【海外旅行】まさかのデング熱!発覚から退院まで
「帰国して日本で働く」という選択肢もありました。
が、頭の中で思い浮かぶ「自分が働く姿」や「日本で暮らす姿」は容易にイメージできるものでした。
また好きなサッカーをし、大好きな友人とキャンプや登山に行く日々。
楽しくなるのは十分分かっていましたが、「ケニアのスタートアップで働く」という選択肢を天秤に載せた時、一切の迷いはありませんでした。
●どんな人々と働くのだろう。
●どんな毎日を過ごすのだろう。
●どんなことで悩むのだろう。
●どんなことで苦しむのだろう。
●どんなことで喜ぶんだろう。
●どんな景色を見れるんだろう。
「新しいことに挑戦すること」で経験と体験を得られ、それはつまり自分のComfort Zoneから出ないと始まらない。この旅で一層感じたこの考えに則ると、まさにこの機会は自分の好奇心を突き動かすものでした。
先が全く読めないからこそ、自分を成長させることができるのではないか。
「自分が一番成長する環境に自分を置いてあげるのは自分への責任。」
そんな言葉を以前ネットで見ました。
自分がどこに行こうが、何をしようが他人には関係無い。
ただ、自分がその時その瞬間に、一番成長できると思う場所に置くのは自分への責任だと。もっと言うと、自分の将来への責任だと思っています。
自分の過去、経歴を思い返した際に、今まで伸ばしたことが無かった領域にチャレンジできる。
たった約2週間が経った今、やはり来てよかったと心から思います。
日本での広告会社で勤務していた際にやっていたことは、1を100にすること。つまり、プロダクト(サービス)は既にあり、それをどうやって世の中に広めるか、が主な役割。
新しいサービスをどうやってターゲットに知ってもらうか、加入してもらうか、購入してもらうか。
ただ、0を1にすることはやったことはありませんでした。
事業を起こし、それをトライ・アンド・エラーで回していく。
そんな0からのサービス、プロダクトを自らが携わり、それが成長する過程で、今までの経験を活かしていきたいと思いました。
与件を整理し、その課題策を提案していた広告会社時代。今では、そもそもの与件が毎日変わるような環境です。
そして、もう一つ大きかったのは河野くんの存在です。
彼が0からケニアで挑戦する姿を知っているからこそ、同年代で一番尊敬ができる起業家、経営者は彼であると自信を持って言えます。
勿論、国内外で多くの資金調達やEXITを達成している方々はいますが、自分の中では彼がトップです。
幸運にも河野くんから誘ってもらいチャンスを得たので、そのチャンスを大きな結果で返せるようやっていこうと思っています。
彼の、僕たちのサービス・会社が、アフリカで大きなインパクトを与えられるよう頑張っていきます。
と言いつつ、やってることは泥臭くて、目の前に現れる問題に頭をひねる毎日です。
毎日が「文化祭前」のような慌ただしさで過ぎていく日々。溢れ続ける課題に向かってワチャワチャしながら、それでも皆で同じ方向を向いて取り組んでいく。
日本でも経験がないスタートアップで働く日々ですが、新しい発見や学びに囲まれ成長させてもらってます。
英語で社員の皆と議論をすること。
新しい施策を試しては、夕方にその結果を検証して、翌日の施策を考えること。
バイクタクシーで通勤すること。
マーケットに行ってお客さんの話を聞くこと。
すべてが新しく、すべてに発見と学びがあります。
社員の現地ケニア人たちも皆可愛らしい、大好きなメンバーばかりです。
そんな彼らが将来「この会社にいてよかった」と言ってもらえるよう、個人として、彼らのキャリアとして、胸を張ってもらえるよう、自分が出来ることを精一杯伝えていきたいと思います。
こんな素敵なメンバーで、そしてトップがいて、これで上手くいかないのであれば自分の責任でしかないし、足を引っ張っているのは自分でしかない。
そう心に思い、自分なりにもがきチャレンジする毎日です。
COOという立場でいま仕事に取り組んでいます。
この立場を「頂いた」という姿勢ではダメというのは分かっているので、もはや河野くんのCEOの座を揺るがすぐらいの気概でお互い切磋琢磨しあえたらと。
彼がケニアで、そしてアフリカで1番の経営者になれるよう、この会社がケニアで、アフリカで一番の会社になれるよう、これからの数年間を捧げることに決めました。
「10年間くらい、俺と一緒にアフリカで戦ってよ。」
河野くんから、1年前に言われた言葉です。
そう言ってもらえる友人を持っていること。
「人生を捧げる」というと大袈裟かもしれませんが、自分の「時間」を使っているのは確かです。
自分の人生で良ければ、存分に捧げるつもりです。
そして、その価値があると思っています。
河野くんとケニア人女性の2人で1年前に始めた会社は、今では30人以上の規模です。
将来について
いつ日本に帰るか、それはまだ分かりません。
それは「今の自分のゴール」が日本に帰ることでないからです。
ただ、将来は自分自身かもしくは友人と事業をやれたらと思っています。
そのために経営やマネージメント、アフリカやスタートアップでの経験・知識・体験を活かし、自分の可能性を伸ばしていきたいと思います。
「お金を得るよりも経験と体験を得よう。」
「自分が一番成長する環境に自分を置いてあげるのは自分への責任。」
自らの好奇心に突き動かされながら、この言葉を胸に、残りの短い20代、そして30代を走っていきます。
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「旅」の定義は色々ありますが、自分の定義は「自身のコンフォート・ゾーンから出て、好奇心を持って過ごす日々」だと思っています。
「ケニアで住むこと。ケニアで働くこと。」
異なる環境で過ごすとはいえ、単にフワフワと日系企業で働くのは、自分としては勿論それは「旅」ではありません。
先日から始まった新しい生活。
それは自分にとってはまた新しい「旅」の始まり。
まだ、今日も旅の途中。
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